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「星に願いを 月に祈りを(結婚編)」
家族旅行

家族旅行 5

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 今日の観光は沖縄本島南部のコース。ここは沖縄戦末期には多くの住民を巻き込み激戦の地となったところ。当時の悲惨さを伝えるように戦跡が今も残っている。
 まず最初に訪れたのは「ひめゆりの塔」だった。
 沖縄戦末期の激しい戦闘でほぼ全滅した南風原陸軍病院第三外科壕の跡地に立つ慰霊碑のこと。慰霊碑の名称は、当時学徒動員としてここで看護活動に従事していたひめゆり部隊にちなんで付けられている。
 沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女生徒222人と教員18名が看護要員として陸軍病院に従軍したのだ。
 彼女たちが従軍した2ヵ月後に病院そのものの回復が見込まれないとして、負傷兵や学徒を置き去りにして日本軍は別の場所へと撤退。病院にいた人たちは分散して地下壕に潜んだが、戦局が絶望的になった1945年(昭和20年)6月18日、学徒隊は解散を命じられた。しかし、すでに沖縄のほぼ全域をアメリカ軍が支配していて、地下壕を出て行くことは、そのまま死を意味していた。
 生徒や教師、軍医などは第一・第二・第三外科壕にそれぞれ避難したが、アメリカ軍の攻撃を強く受けた第三外科壕の死者が最も多く、96名中、沖縄戦集結までに生存したのはわずかに5名(ひめゆり学徒隊4名・軍医1名)のみ。全体で見ても、職員を含むひめゆり学徒隊240名の内、死亡者は生徒123名、教員13名にもなった。このうち解散命令以後に亡くなったのが117名であった。
 戦後、戦死した生徒の親によってこの壕が発見され、アメリカ軍に住むことを命じられて住んでいた真和志村の住民によって遺骨が集められ、その後慰霊碑が建てられた。
 沖縄戦の悲惨さをよく語ってくれる場所である。
 塔の前に立ったとき、ジスクおばあさんは涙した。戦争を知る一人としてあの悲惨な日々の記憶がよみがえったのかもしれない。
 慰霊碑と塔の間にぽっかりと口を開けているのが、第三外科壕の跡。
「おばあさま」
 ミニョは手を合わせ涙するジスクおばあさんの肩にそっと手を置いた。
「ミニョ……戦争はしたらダメじゃ。戦争は人だけでなく、思い出も、夢も希望も全部ダメにする。戦争は……」
「おばあさま」
「テギョンが、こんな可哀想な目に遭ったらと思うと私は……生きておられぬ」
「おばあさま。私もです」
 ミニョもうっすらと瞳に涙を浮かべた。
 テギョンはユグンを抱っこして二人を見ていたが、何と声をかけたらいいか分からなかった。
「あの……おばあさま? ミニョ?」
 どうしようかと思ったとき、ユグンが腕の中で少し動いた。
「どうした?」
「うくく」
「何だ?」
 ユグンが見ているほうを見てみると……。
「ここがひめゆりの塔です。ここは――」
 バスガイドに案内された数十名の学生の団体がやってきた。どうやら修学旅行の団体のようだ。
 しかも全員女の子。
「あうあう~」
「きゃあ、赤ちゃんよ。可愛い!」
 ユグンに気づいた女の子たちがひらひらっとユグンに向かって手を振ってきた。
 日本語なので何を言ってるのかは……理解できない。
「お前って……」
 この「女好き」の性格、誰かに似ている。
「ミナムか!?」
 ミナムのDNAを強く感じてテギョンは思わず叫んだ。
「はい? お兄ちゃんがどうしました?」
 ミニョがくるっと振り返った。
「いや、何でも」
「ユグンは何を見て喜んでるんですか?」
 母の目にもユグンが嬉しそうなのが分かるようだ。
「いや……聞かない方がいい」
「はい?」
 ユグンの隠れ(?)女好きが発見され、テギョンは苦笑せずにはいられなかった。
「何を笑っておるテギョンは。不謹慎であろうが」
 ジスクおばあさんがめっと睨みつけた。
「え? 俺はそういう意味で笑ったんじゃ。おい、ユグン。お前が」
「ユグンのせいにするでない」
「ええ!!」
 ユグンや可愛い女の子の前で説教されるはめになってしまった。
 最後に入口にある献花台に持ってきた花を献花して、次に向かった。
 その後、平和祈念公園を訪れた。ここは沖縄戦でも特に激戦の地であり、また終焉の地でもある糸満市の摩文仁(まぶに)の丘にある。緑が美しい園内には、平和祈念堂や資料館の他に民間人・軍人・国籍を問わず沖縄戦で亡くなった約24万人の戦没者の戦没者名を刻んだ平和の礎(いしじ)もある。
「ここには韓国人の名前もあるのかの?」
 ガイドを務めてくれているタクシーの運転手に聞いた。
「はい。400名ほどの名前が刻まれています」
「そうか……」
 ジスクおばあさんは名前が刻まれているゾーンに向かった。
 沖縄の太陽に照らされ、刻銘碑は輝いていた。この地で亡くなった韓国人に思いを馳せた。
 平和の礎は屏風状に並んでいる。これは平和の波が世界に広がるようにとの思いをデザイン化したもので、「平和の波永遠なれ」というデザインコンセプトになっている。
「ここで亡くなった人たちがこんなにおるのじゃな」
「はい」
「おばあさまの知り合いで沖縄で亡くなった方はいるんですか?」
「幸いというかおらぬな」
「そうなんですか」
 それでも日本で亡くなった親戚はいるそうだ。
「テギョン」
「はい」
「もうすぐお前は入隊するが、私はやはり心配でならぬ。ここ数年、あちらとも関係があまり良くないからな。いつ何が起こってもおかしくはないであろう。もし、お前が兵役中に何かあったらと思うと胸が締め付けられそうじゃ」
「おばあさま。俺は……俺は絶対帰ってきます。だから、おばあさまはうんと長生きしてください」
「テギョン」
「100歳まで生きて下さいよ。おばあさま、お願いします。ほら、ユグンからもお願いしろ」
 ユグンをジスクおばあさんに近づけた。
「おばあちゃま、長生きちてね~」
 ユグンのフリをしてテギョンが言い、思わずミニョは吹き出してしまった。
「オッパッたら」
「まったくこの子は」
 ジスクおばあさんも苦笑してしまい、三人は大笑いした。
 戦争に対する思いをそれぞれにして、三日目が終わろうとしていた。







おはようございます。今日の朝はちょっと涼しいです。金・土・日と天気が悪く、涼しかったです。
今日も涼しいといいんですが・・・・。
今回のお話を書くにあたって、いろいろと調べました。戦争ってつくずくするものじゃないと思いました。
いいことなんて何もないですから。
もうすぐ原爆記念日ですね。私が子供の頃は、原爆記念日には登校して体育館で映像を見ました。今の小学校とかはどうなんでしょうか?
戦争というものがこの世界からなくなるといいですね。平和が一番です!

今日もみなさんが笑顔でありますように。

いってらっしゃい。
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Re: ぴっぴさん

こんばんわ。

今回のお話を書いてて、今の時代に生まれたことを本当に幸せなことだと思いました。
少なからず日本にいれば戦争は知らずにすみますから・・・。
平和ってすごく幸せなことなんですね。
15歳で兵隊に行くこともないし、爆撃に怯えることもないですから。
今もどこかで戦争はありますが、本当に戦争がなくなって、一日でも平和な世界が来るといいと思います。

こちらは「アイドゥアイドゥ」を放送中です。私はキム・ソナは好きですが、相手役の男の人がますだおかだの「岡田」に見えてしょうがないので、つい見てても笑っちゃいます(笑)
旦那に言ったら「えー似てないよ」とは言うんですが・・・。

Re:みうさん

こんばんわ。

沖縄に旅行した時、平和記念公園に行きました。綺麗なところです。
日本で唯一戦土となったのが沖縄だけに、その悲惨さは当時すごかったと思います。
鹿児島の知覧に行ったとき、特攻兵の資料館に行ったときは涙が止まりませんでした。
特攻で亡くなった方の遺品の中には家族にあてた手紙もあって・・・。
戦争は二度としてはならないことですね。

テギョンの兵役のことを思い心配なのは人一倍でしょうね。
いつ北と戦争が起きてもおかしくないですから。
元は一つの国。それが分断され、敵同士みたいになってるのは悲しいことです。

Re: にこにこひまわり♪ さん

こんばんわ。

私も専業主婦になって早四ヵ月。ここ最近旦那に「いつ働くの? 早く働いて」とせっつかれ中です(汗)
もうそろそろ休暇はやめなければ(笑)

戦争は悲惨なことしか残らないですね。何ひとついい思い出なんか残りません。
この先も平和が続くように祈りたいです。

Re: mamiさん

こんばんわ。

同じ気持ちです。
色々不満はありますが、平和な今の生活、日本という平和な国に生まれたことを感謝しています。
毎日、こうやって何事もなく過ごせることって本当に幸せなことなんだなって改めて実感中です。
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